2013年6月2日日曜日

泥の河

小栗橋のたもとから名古屋港方面を見る

日本映画が興業的に持ち直して久しいけれど、『キューポラのある町』(浦山桐郎監督)等の社会と向き合った実直な作品は最近めっきり少なくなったと思っている。
 そんな中、先週の金曜日、5月31日に日本で一番古いバイオリン工場を探して名古屋市街地を歩いていて、映画『泥の河』のロケ地だったという場所に偶然出くわした。名古屋港から名古屋駅近くまで掘られた中川運河の小栗橋という所だ。今も運河の両側には倉庫群が残っている。
コノシロを見つめる満腹そうなアオサギ
じつは、昔の東京蒲田のように古くからの町工場が集まった風情溢れる下町の路地を歩いていて、懐かしい風景を写真に撮っていたら、不審に思ったらしいおっさんに声を掛けられたのが発端だった。最初は話をそらすために、運河を浮遊するたくさんの死んだ魚について聞いてみた。運河の水質を浄化するために運河の奥に引き入れている海水に沿って紛れ込んだコノシロ(内海の魚)が酸欠で死んだものだと言う。

 そのうち、すっかり話し込んでしまい、その人は中川運河の歴史や戦後間もない時期の地域の様子を聞かせてくれた。名古屋港に着いた木材(原木)は水運を使って名古屋駅など街の中心に運ばれたそうだ。そのため、この一帯(名古屋市中川区横堀町・広川町)には原木からベニヤを製作する工場など、材木に縁のある工場が多かったそうだ。その人につかまった場所は家具工場があった場所で、その先はピアノ工場だったと言う。しかし、東南アジアの国々が発展のために原木輸出を禁止したため、日本国内のベニヤ製造業界は一気に衰退し、現在は中川運河沿いに化粧合板の工場が一つ残っているだけだと言う。
 その人が、すぐそこの橋のたもとが映画『泥の河』のロケ地だと教えてくれた。

 昭和30年代、私が小学生・・・敗戦後の日本が高度成長期に差し掛かる時代、『泥の河』の風景は全国にあった。
 経済優先の社会に不条理は多く、子どもの目にもそのいびつな発展がちらほら見えてしまう時代だ。その中で人々は懸命に生きていた気がする。
 浦山桐郎監督のもとで助監督として働き、自分のデビュー作に、戦後のあの!時代を描こうとした小栗康平監督が宮本輝の原作のイメージを求めて大阪、広島・・・と各地を回り、ようやく見つけたロケ地が中川運河のたもとだったという。
(余談だが、浦山康平監督は第1作目は中国残留孤児をテーマにしたいと長野県の山本慈昭住職を何度か訪ねたものの、史実の重みにフィクションを諦めた、と書かれた文もあった。)

 川のほとりは、今風に言えばリバーフロント、国交省が施策を集めた生物多様性の空間だ。そんなものよりはるかに重く、河には幾時代もの人々の重い心が流れている。
映画『泥の河』の一シーンより
浦山監督から小栗監督と流れる邦画には社会と人がしっかり描かれている。特に菅谷きん、北林谷栄、田村高廣・・・といった名優を得て、時代の変化を描ききれていた、と思う。
 今、産業の形態も花形も変わったが、少なからぬ人々がバブルの再来を期待し、過去の反省よりも威勢のいい話に乗ろうとしている。効率優先で弱者には冷たい・・・。宮本輝が書き、小栗康平が映画化した『泥の河』のテーマはまさに今の社会のテーマだ。

 期せずして『泥の河』のロケ地に巡り合った昔ながらの工場の下町。その中に私が探したバイオリン工場もあった。